ありふれた至極普通のタンパク質10.4㎏

男もすなる日記といふものを、男もしてみむとてするなり。野山に混じりて竹をとりつつ、よろづのことにブナシメジ。

「日本語」とかいうイカれた言語

よく考えたら日本語はかなりヤベェ言語だとは思わないだろうか。

そもそも「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の3形態の文字を使ってる時点で異色である。

それに加えて、謙譲語、丁寧語、敬語、もう廻廻奇譚摩訶不思議魑魅魍魎跳梁跋扈アセスルファムKである。なにがなにやら。

もちろん、英語にも敬語に当たるような「Could you ~」や、「Would you mind if ~」等の表現はあるが、日本語は動詞に「お~になる」「~ される」「~なられる」という語句をつけるだけでインスタントに敬語が生成できる。なんなら名詞に「お」を付けるだけで丁寧さをaddingできる。「お日様」や「お砂糖」などがいい例であろう。

さらにさらに、前者の「お日様」に関しては「お」という接頭辞が付いたことで、「太陽」という単語が「日様」にジョブチェンジしている。「日様」や「お太陽」なんて言葉は使わない。「お」を付けるなら「日様」ないしは「天道様」という修二と彰、桐生戦兎と万丈龍我的な関係が働いている。

「殺す」という動詞に至っては相性のいい接頭辞が豊富に取り揃えられている。

ぶち殺す、ぶっ殺す、カチ殺す  etc.....

「ぶち」「ぶっ」という単体では意味を成さない語がMIXされることによって禍々しさとスパイシーさが飛躍的に向上している。

ここまででも日本語のヤバさと日常的にヤバいこの言語でコミュニケーションをとっている我々のヤバさたるや、実にヤバい。

果たして外国人は「受動態の『される』」と「尊敬の『される』」の見分けをつけられるのだろうか。






部長がこれからブチ殺される。





部長がブチ殺すのか部長がブチ殺されるのか。


ちなみにこの文書を敬語に直すと


部長御ぶち殺され給はりける

になる。


私がアメリカンピーポーだったらこの文書を見るやいなや泡を吹いて卒倒するだろう。

卒倒する私をさらに黄泉にたたき落とす日本語の要素が「日付の数え方」である。

初見で「3日」「13日」「7日」「19日」を間違えずに読める外国人はいるだろうか。たぶんいない。ダークソウルのような初見殺し要素をふんだんに惜しみなく含んだのが「日付の数え方 of Japanese」である。

「みっか」とは読むが「じゅうみっか」とは読まない上に、「日」という漢字の読みも「か」と「にち」に不規則に変動する。

そう、不規則に読み方が変動するのだ。

ある程度の法則性はあるものの、読み方全体に共通するような法則はない。

これから日本語を学ぼうとしている外国人の方には非常に申し訳ないが、こればっかりは「覚えろ」としか言いようがない。

ここまで日本語が複雑怪奇になっているのには日本古来の和歌や短歌では微妙なニュアンス、差異、季節の変化などを具に表現する必要があった事に端を発しているのではないかとふと思ったが、そこまで踏み込むと卒論で書けそうなレベルになりそうなのでここら辺にしておく。

オーストラリアでは日本語の授業があるそうだが、どう授業が展開されているのか非常に気になる。

1番の問題は上記の日本語の奥ゆかしさをどうやって母語が英語の外国人に伝えるかである。

その場合私ならこう伝える。




Japanese is too difficult for foreign people. Because even Japanese people can't use correctly.」